9、「姥捨て」の哲学―デンデラ野考

 『遠野物語』の語り手、佐々木喜善の家は、デンデラ野とダンノハナにはさまれた集落にありました。ダンノハナは共同墓地で、かつては囚人を切り殺した場所、とも言われています(112話)。『遠野物語』では「連台野(れんだいの)」と書かれているデンデラ野は、「60を越えた老人はすべてこの連台野へ追い遣るの習いありき」(111話)とあり、簡単に言えば遠野地方の「姥捨て山」でした。

 姥捨て山の話は「棄老」と総称されて、日本各地に様々な形でその風習が民話や伝説で残っており「『今昔物語集』や平安時代の歌物語『大和物語』にも棄老にまつわる話がでてくる」(中見利男『本当は怖い日本おとぎ話』、角川春樹事務所、p.102)そうです。沖縄に残っている姥捨て山の話をちょっと紹介しましょう。

 「むかし、むかし、ある国の話です。男も女も61になると、この世のつとめはおしまい、というきまりがありました。ある家のアンマー(母親)が61になり、母親を山に棄てるなどとてもできないと反対する息子に、「生まれたときからの国の決まりだ。覚悟はできている」と、背負われて山の奥へ奥へと入っていきます。息子が帰りに迷わないように、木の枝を一間ごとに落としていきました。母親が暗い山のなかに一人でいることを思うと、夜も眠れず、食べ物ものどを通らない日が続き、こっそり連れ戻して家の床下に隠します。

 ある日、唐の国から三つの難題が持ち込まれ、解けなければ戦をしかけると、脅されます。誰もその難題を解けず、国中が大騒ぎになりますが、母親が三つとも見事に解き、「年寄りの知恵が国を救ってくれた。これからは年寄りを大切にして、山に棄てるのはやめよう」となって、年寄りを大切にするようになったので、この国の人たちは長生きになったとさ」(沖縄むかし話の会編『読みがたり沖縄のむかし話』日本標準、pp.135-140)。

 三つの難題は次のようなものです。
① 灰で50尋(約50メートル)の長さの縄を結いなさい。
② 同じ色、同じ大きさの親子の馬を連れてきて、どちらが親か見分けなさい。
③ 上から下まで同じ太さの角材を持ってきて、どちらが根元か当てなさい。
さて、皆さん、答えを考えてくれますか(答えは末尾)。
もう一つ紹介した棄老伝説(嫁にいびられて姥捨てになった70過ぎの老婆が、死んだあとの死後の世界でご馳走攻めに会い、一方のいびり嫁は飢饉で後を追い、地獄の血の海で鬼に突かれて永遠に苦悶する話(『本当は怖い日本おとぎ話』pp.96-101)は、古代インド(200年ごろ)の仏教経典『雑宝蔵経』の説話に原典があるとされているものです(同p. 102)。

 受講生のお一人は、『遠野物語』の12話、13話、111話から「遠野の老人たちは人々と絆をもって暮らしている」とし、老人の「孤独死」を生む現代日本の少子高齢化問題を考えるヒントが含まれてる(「高齢者に優しい遠野」)と読み解いています。遠野の案内人によれば、デンデラ野に老人が行くのは、食い扶持を減らして家族の命を救うためで、本人は一人で作物を作って自活していくと言います。老人が一人住まいしているところから煙があがっているうちは生きている証拠で、煙があがらなくなるとその死を家族が知る仕組みになっているそうです。

 地元案内人のデンデラ野考 https://www.youtube.com/watch?v=RwaavKJDsJo

 「60を越えた老人はすべて連台野へ追い遣る」とある111話にも、老人は里へ下りて農作して自分の食い扶持を確保し、朝方野らに出るを「ハカダチ」といい、夕方野らから帰るのを「ハカアガリ」という、とも書かれています。全体の命を守るために身を棄てる「姥捨て」の哲学には考えさせられます。

 火事を予見する「芳公馬鹿」の話(96話)、「魯鈍な妻」が家を豊かにした話(63話)、人の心を読み解く狂人の話(108話)は、「弱者の価値を認める遠野」と言えるでしょうか。

(答え)
1、50メートルの縄をまず作って、それを焼く。
2、餌をあげて、先に食べたほうが子馬。親は、必ず子どもに先に食べさせるから。
3、水に浮かべる。根元のほうが比重が高く重いので、少し沈む。