9、アテナイの食事情は、贅沢、それとも簡素?

 プラトンの対話篇『国家』の中に、アテナイの人たちがどのような食生活をしているかを、伺わせる箇所があります。目指すべき国家の成員と役割分担をおおむね決めたあと、その国の食生活について触れるくだりです(372B-D)。

 大麦粉や小麦粉を焼いてつくったお菓子やパンを葦などの葉に盛り付け、つる草などを敷いた床の上で食べ、食後にぶどう酒を飲みながら神を讃えるーおかずとしては、オリーブやチーズ、野の草や野菜の煮物、デザートには無花果やえんどう豆、そら豆、など。こう語るソクラテスに対して、対話者のグラウコンが「それでは豚の国の飼料ではないですか。彼らにみじめな思いをさせたくないなら、寝椅子に横になって、いまの私たちが食べているような料理やデザートを食べなければなりませんよ」とクレームをつけます(372D-E)。
 
 では、当時のアテナイの人たちはどんな食事をしていたのでしょうか。ローマ時代の食通が表した『食卓の賢人たち』(アテナイオス著、岩波文庫)は、ある演説家がアテナイで催した豪華な宴に、次のような多種・多彩な食材が出てきたことが描かれています。

 「かつて見たこともないほど美しく、雪よりも白く、食せば最上品にも等しい見事なパン」「(葱の仲間の)ボルボスにアスパラガスに肉たっぷりの牡蠣」「骨の柔らかいひらめと、頬を紅に染めた赤ぼら」「あなご」「うなぎ」「すずき」「大えび」「ざりがに」「豚のもも肉」「甘みをつけた辛子」「(スパルタの)黒粥「脂ののったあひる」「梨に薫り豊かなりんごにざくろ、葡萄」「黄色で、おいしくて、大きくて、丸い、デメテルの娘(小麦)を焼いた薄焼きパン」(「ホメロス風アテナイ式晩餐賛歌」p.100-108)

 イギリスのプラトン学者ネトゥルシップは、「(アテナイの)医者たちは贅沢病に甘い顔を見せて、自分自身の誤った管理の結果、不調をかこつ富者たちが酒色にひたり、むら気に走るのを増長させている」とプラトンは考えた、と指摘しています(トゥルシップ『プラトンの教育論』岩本光悦訳、法律文化社、p.113)。つまり、プラトンは、当時のアテナイでは、食生活が贅沢になって、その結果、病気になる人たちが増えている、と考えていたのです。

 しかし、一般には、アテナイの食事はペルシアやトラキアなど、地中海のほかの国々と比べると、簡素だと思われていたようです。
 
 『食卓の賢人たち』には、「けちな食卓で葉っぱを食らうギリシア人」と、アテナイの食卓が揶揄(p.89)され、プラトンの学校アカデメイアとアリストテレスの学校リュケイオンで催された宴で、気を利かせた料理人が”贅沢“だと、叱責されたり、むちで打たれたりしたことが書かれています(「アテナイの賢人たちの食事観」p.109-110)。
プラトンら知識人たちは、贅沢な食事を戒めていたが、一般のアテナイの人たちの食事は、かなり贅沢に走っていた、というのが真相のようですね。