9、アリストテレス 「本質」とは何か

 さて今回は、アリストテレスを肴に、「本質とは何か」について考えて行くことにいたしましょう。プラトンのソクラテス対話編『ゴルギアス』は、ソフィストのゴルギアスに対するソクラテスの質問「あなたは何者なのか」が全編を流れるテーマになっています。この「何者なのか」の問いに対して、仮に皆さん方が誰かに問いかけられたら、どのように答えるでしょうか。まずはお一人、お一人に聞いてみることから始めることにいたしましょう。

 さあ、どうですか。あなたが宇宙のどこかで宇宙人と出合ったなら、あなたは「私は地球人です」と答えるかもしれません。酔ってうっかり隣の家に入り込み、驚く家人を前にして間違いに気づいた場合には「隣の者です。すみません」と多分答えるでしょう。玄関の脇でごそごそやっている人がいるので不審に思って「何者ですか」と聞いたら、「あっ、スミマセン、電気の検針員です」と言った答えが返ってくるでしょう。夜中に不思議な気配を感じ「何者だー」と叫ぶと「泥棒です」と答える場面は、まあ、落語の世界ですね。

 人を評して「変わっている」「クレージーだ」「太鼓もち」などの表現は、その人がどのような人間と見られているかを、一言で表しています。本人はそう思っているとは限りませんが、他人からみればそれがその人の「本質」と見られているのです。

 アリストテレスは、存在するものは、次の「十のカテゴリー」で規定されることを示しました。「本質」(何であるか)「性質(どのようであるか)「量(どれだけであるのか)」「所有(何を持っているか)」「関係(どのようなつながりがあるか)」「時(いつあるか)」「場所(どこにあるか)」「状態(どのようにあるか)」「能動(何をしているか)」「受動(何をされているか)」。

 よく引用するのですが、たとえばあなたが結婚式の司会をして、花嫁のことを次のように紹介したとしましょう。「良家のお嬢さん(本質)で、気立てが優しく(性質)、スマート(量)で、一流大学のご卒業(所有)、これまで(時)、東京の(場所)デパートにお勤め(関係)で、てきぱきと(状態)仕事をこなし(能動)、周囲の方々の評判が素晴らしい(受動)お方です。

 さて、ソクラテスに「あなたは何者なのか」と問われたゴルギアスは、「徳を教える教師である」と答えます。教師は「教える」ことによって人と「関係」する職業ですが、「あの人は教師の鑑ですね」と言われると、これはその人の「本質」を表すことになるでしょう。数学を教える人は数学を身につけている(所有)人ですし、体育を教える人は体育を身につけている人(所有)ですね。

 徳の教師は徳を身につけている人のはずですから、ゴルギアスは有徳の人となるのですが、では「徳とは何ですか」と聞かれて、ゴルギアスは答える事が出来なくなります。

 アリストテレス的に言えば、「徳」とは「人間らしさを発揮できる状態」とでもなるでしょうが、あるいは「思いっきり人間」とするとなかなか面白いですね。「人間らしさ」とした場合、それは「ソフィア」(知恵)に関わるものなのか、それとも「ヌース」(理性)や「テクネー」(技術)に関わるものなのか。皆さんは、どう思います?