9、ウイットゲンシュタインを目覚めさせたのは誰か

 (『論理哲学論考』(1921)の)アプローチの妥当性についてウイットゲンシュタインが抱いていて疑問は、彼が1929年1月に、 ケンブリッジに戻った後…展開し、成熟する。この変化をもたらす上で大きな役割を果たしたのが、ケンブリッジ大学の経済学者であったピエロ・スラッファであった。
            (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.187)

 ピエロ・スラッファ(1898-1983)イタリア出身の経済学者で、ケンブリッジ大学でウイットゲンシュタインらとともに「カフェテリア・グループ」を構成。

 センが傍注で引用しているピエロ・スラッファの動作を伴った指摘、ナポリ人は疑いを表すときには指先で顎をなでる、ことを示しながら「これはどんな論理形式か」と言った話は、私たちの言語空間が、論理だけでなく生活習慣にも大きく寄っていることを示唆するものでした。そのことは、イタリアの共産主義者アントニオ・グラムシが、「私たちの世界観は、ある特定のグループの生きざまを反映している」と『獄中からの手紙』で書いたこと(セン同上 p.186)に通じるものです。
 ウイットゲンシュタインは、スラッファとの話に刺激されて、のちに「言語ゲーム」によって代表される『哲学探究』を書きました。簡単に言えば、この哲学は、私たちの人生を論理絵として見てしまう前作『論理哲学論考』の視点をがらりと転換し、むしろ人生の写し絵として哲学を考察し、言語の使い方の中に「生の秘密」を見ようとするものでした。
 「言語ゲーム」は、ソクラテスの言葉「大工としゃべるときは大工の言葉を、左官としゃべるときには左官の言葉を使いなさい」を思い出させるものです。ナポリ人と心底付き合うには、顎をなでるTPOを完全にマスターしなければなりません。同じように、京都人の社会に受け入れられるには、箒をさかさに立てられるのが見えたらいとま乞いをしなければならない、などのその社会のもろもろのマナーやルールを完璧に身につけなければなりません。ウイットゲンシュタインは、サッカーのゲームを観戦しているときに、「言語ゲーム」のアイデアを思い付いた、とされています。サッカーにはサッカーの、野球には野球の約束事があり、サッカーの仕草は野球では通用せず、野球の仕草はサッカーでは通用しません。こうして私たちは、究極的には個々の人々が、その人生において体験してきた「人生ゲーム」の中で、言葉と行動を基礎づけられ、他者と交わるときに、ときに、宇宙人とでも対話をしているような戸惑いを覚えたりするのです。
 どのようにしたら、私たちは、他者の人生ゲームとの相互乗り入れが可能になるのでしょうか。ウイットゲンシュタインの「生の哲学」は、私たちに「生きること」そのものの意味を問いかけ、再びソクラテスの問いへと投げ込むのです。