9、ダ・ヴィンチにおける「死」の問題

 唯脳論者・養老孟司の一番弟子といってもよい美術評論をものする布施英利はシャーウイン・ヌーランドの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(菱川英一訳、岩波書店)のあとがき「『無学』ゆえの天才は、二十一世紀をも生き延びる」で、ダ・ヴィンチの絵を評して「絵というより死体」である、との奇妙な説を提示しています。

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 ぼくは『ジネブラ・ベンチ』が飾られた美術館の一室に入った瞬間、そこに『死体がある』と感じたのだ。その死体とは、『死体がモノに見えるでしょう』というタイプの死体ではない。長年解剖をやって、死体が『死体』としか言いようのない存在に見えてくる。その『死体』である」(同書p.180)

 この絵は、ワシントンのナショナル・ギャラリーにあります。「その絵が飾られた部屋にはレンブラントをはじめとする美術史上の巨匠の絵が並んでいた。そのなかでダ・ヴィンチの絵だけは、まったく違った空気を漂わせていた。ぼくは直感的に『これは絵ではない』と思った。もちろん、絵としての水準が低いとかそういうことではない。なにか『とてつもないもの』であるのはいうまでもない。でも、それは『絵』ではなかった。では何かといえば、しいて表現すれば『設計図』か何かに見えた」(同p.179)とも布施は書きます。

画像の説明

 布施によれば、ダ・ヴィンチ以前の時代の解剖図は、どれも生きた骸骨のように描かれたが、「ダ・ヴィンチは、骨を、またその他の筋肉や内臓を、死んだ人間のそれとして描いた。こういう解剖図から分かるのは、ダ・ヴィンチは、はじめて『死体』というものの存在を発見した、ということである」(同p.177)というのです。なかなか、面白い見方ですね

 ジネブラ・ベンチは、走り使いから身を起こし、やがてコジモ・デ・メディチの右腕としてメディチ銀行の総支配人となって財をなしたアメリゴ・ベンチの娘です。16歳のときに織物商ニッコリーニに嫁ぎ、ジネブラの肖像画は夫が注文した結婚記念だとされてきたものです。「死体の絵」が極論だとしても、結婚記念の絵としては、描かれている娘に華が全く感じられないのはどうにも否定できませんね。
 
 近年では、ヴェネチア共和国のブルゴーニュ公国大使だったベンボとジネブラが“恋愛関係”となり、別れの記念にベンボがダ・ヴィンチに依頼した肖像画である、との説が語られています。憂いに満ちたジネブラの表情は、悲恋物語が事実とすれば、心が死んでしまったジネブラの「悲しみ」を、ダ・ヴィンチが見事に描き出しているのだ、と言えるかもしれません。

 ヴァレリーは、「死は魂にとって破局」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』p.104)であり、「肉体を失った霊魂ほど哀れなものはない」(同p105)と、ダ・ヴィンチの考えを読み解いています。そして、ダ・ヴィンチは人体を「魂を活かすありあまる機能・手段をもった」(同p.105)存在であり、「あれほど、生体を好き好んだ人」(同p.104)と、ダ・ヴィンチのことを表現しています。

 「死に関するこの人の考えは、これはかなり短い文章の間から拾わねばならぬ」(同p.103)とヴァレリーが言うように、ダ・ヴィンチの「死」についての考え方をその『手記』から紐解くのは容易ではありませんが…。

 『モナ・リザ』も、彼は「死体」として描いたのか、それとも…。ご自由にお考えを。