9、ミメーシスの本質―詩人や画家は真実を告げない?

 プラトンの『国家』で絶えることなく議論されているテーマとして、イデア論と並ぶものにミメーシス(真似)をめぐる問題があります。第10巻の一~七(下巻595A-607A, pp.338-376)で、再びホメロスが取り上げられ、真似を本義とする詩(創作)のようなものは、人びとの心に害毒を与えるものであり、絶対に受け入れてはならない、と議論が始められていきます(595A-B, pp.338-339)。

 プラトンは有名な寝椅子の例を持ち出し、その製作者を「神」「職人」「画家」の三つに分けて説明して行きます(597B-E, pp.344-347)。

①唯一の寝椅子のイデア(実相)を現実化する神
②寝椅子のイデアに基づいて個々の寝椅子を作る職人
③神や職人の寝椅子を真似てその描像(寝椅子と見えるもの)を描く画家

 ホメロスのような吟遊詩人など芸術一般の生み手は、画家と同じ「真似る」ものであり、「真実という王から遠ざかる三番目のもの」とされるのです。

 画家は何を真似るのだろうか、とプラトンは問いかけ、「職人が製作した個々の製作物の見かけを真似る」と答えさせます。

「たとえば画家はーとわれわれは言おうー靴作りや大工やその他の職人を絵にかいてくれるだろうが、彼はこれらのどの職人の技術についても、けっして知ってはいないのだ。だがそれにもかかわらず、上手な画家ならば、子供や考えのない大人を相手に、大工の絵をかいて遠くから見せ、欺いて本当の大工だと思わせることになるだろう」(598B-C, pp.348-349)

 プラトンの議論は、芸術家はその対象の世界について実際には何も知らないのに、見かけだけを真似した疑似描像を作る、ということにあります。そして、もしそれぞれの世界について本当に知っているのなら「その似姿のために熱意を傾けるこよりは、実際にそれを行うことのほうに、ずっと真剣になるだろう」(599B, p.351)とつなぎ、さらには、「親愛なるホメロスよ」と呼びかけ、「あなたのおかげで統治が善くなった国というのは、どこの国であるのか?」と、皮肉交じりに語りかけるのです。

 ピュタゴラスがその生き方において後世の人々に影響を与え、ソフィストのプロタゴラスやプロデュコスでさえ弟子たちに敬愛されたのに、ホメロスときては、人びとをすぐれた人間にするのに役立っていない、といった論調にまで話は展開していきます。結局、芸術家は描き出すその対象について何も知らないに等しく、彼らのしている<真似ごと>は「ひとつの遊びごとに過ぎず、真面目な仕事などではない」(602b, p.361)と、最大限にこきおろされてしまうのです。

 さて、みなさん、このプラトンの極論についてどうお考でしょうか。ハイデガーは『芸術作品の根源』(関口浩訳、平凡社、2002.5)においてゴッホの『農民の靴』を例に挙げて、真実の画家というものは「生きることの実相を描き出す」論を展開しました。「私は自分を語る事によって人間の実相を表現する」とするモンテーニュの話も例にあげましょう(E.アウエルバッハ『ミメーシス(下)』篠田一士・川村二郎訳、ちくま学芸文庫、1994.2)次回は、芸術論に花を咲かせたいと思います。