9、ヴォルテールとかけて立川談志と解く

 今回は、ヴォルテールの人生を、落語会の風雲児・立川談志の人生と重ねてみよう、との試みです。お配りした談志の『人生、成り行きー談志一代記』(新潮文庫)には、小学校のころに落語に夢中になった談志が、高校生で小さんに弟子入りし、前座になったとき「しまった!こんな世界だったか」と後悔した話から、落語協会から脱会して新しい団体を創立し、政治家にまで進出した波乱万丈の人生が多彩に展開していきます。
 
 談志の人生哲学に「帰属論」なるものがあります。人は必ずどこかに帰属して、安心を得ている、というものです。談志の言葉をそのまま引用すると「人間は自分を安定させるためにいろんなところに帰属するし、他人を見る時も、どこかに帰属させることで安心します。つまり、『あの人は競輪やって大酒呑む乱暴者だけど、優しいところもあるのよ』といった具合に、わかりやすい何かに帰属させることで安心するわけです」(p.231)

 「一番帰属して楽なのが、あまり頭を使わなくても済む」宗教やイデオロギーであり、家族に帰属したり、ジャイアンツに帰属したり、子供の教育に帰属したり、飲み仲間に帰属したり、フランス語講座に帰属したり、絵を見たり、音楽を聴いたりするのも「ルノアールやモーツァルトに帰属させて満足感を得る」行為だというわけです(同)。

 では、本人の談志は何に帰属しているかというと「あたしが何に帰属するかといえば、これが何もないんです。若い頃は、フレッド・アステアに帰属したり、ジャズや映画に帰属したこともあったけど、結局、今や帰属するのは落語しかないんだ。おれが縋れるのは落語しかないんだ。なぜ落語かって言うと、落語はネ…」と、落語に帰属している、と言うのです。その理由が、落語は「“みんな嘘だ”、ってことを知っている」からだと、いうのだから面白い。

 さて、最初にご議論いただきたいのは、ヴォルテールは何に帰属していたのか、ということです。王侯貴族に帰属し、貴婦人に帰属し、最善説に帰属し、…とあげてみて、結局のところ彼は何に帰属していたのでしょうか。「究極のところ哲学に帰属していた」と言えるかどうか、まずは皆さんのご意見を伺い、談志の次の言葉の意味に移りましょう。

「もっと言うと、あたしは<立川談志>に帰属しているんじゃないですか。落語を変え続ける<談志>というものに帰属している。いま、あたしが安定できないのは、帰属先の<談志>がバテてきて、なかなか落語を変えること、深めることができてないってことじゃないですかネ…」(p.233)

 この話から、皆さんは良く知られた落語「粗忽長屋」を思い出しませんか。長屋住まいの男が、浅草の観音さまの行き倒れが同じ長屋の熊と知って、あわてて長屋に戻ります。ところがそこに熊本人がいて「お前は死んだんだよ」と観音さまに連れて行く。熊も「これは俺だ。死んじゃったのか」と、抱き上げて「これが俺なら、抱き上げているこの俺は誰なんだ」の落ちがつきます。

 この話はまさに、「談志が談志に帰属する」話に通じ、「帰属させる談志」と「帰属する談志」二つの「談志」の存在が含意されています。そしてこれは、「見る私」と「見られる私」の「二つの私」をどう解釈するかの哲学的問題そのものなのです。さあ、いよいよ皆さんに哲学の深みへと入り込んでいただきましょう。