9、人権とグローバルな義務

「人権を認めるということは、人権侵害がどこで起ころうとも、それを防ぐためにすべての人が立ち上がらなければならないと主張するものではない。むしろ、もしある人がそのような人権侵害を防ぐ上で有効なことをできる立場にいるなら、その人にはそれを行う良い理由があるということであり、それは、何をなすべきかを決める上で考慮しなければならないものである。他の義務や義務でない関心が、問題となっている特定の行動をとる理由に勝るかもしれないが、しかし、その理由は、「私には関わりのないことだ」と言って単純に退けてしまえるようなものではない」
      (アマルティア・セン『正義のアイデア』pp.527-528)

 前回は、楊継縄『毛沢東 大躍進秘録』(文藝春秋)に出てくる中国の内部資料・攩案館(とうあんかん)の個人版があり、普段は立身出世の用に、文革時には非難・攻撃の材料として使われた、と、受講生の一人が中国事情をまず報告してくれました。

 次いで、別の受講生が『世界』(岩波書店、2014年3月号)に掲載された西川潤「脱成長時代の新しい発展パラダイムー『国民総幸福』と『良い生活』」を取り上げ、ブータンの提唱する豊かさの指標であるGNH(Gross National Happiness 国民総幸福)と、OECDが2011年~2012年に提唱した成長期の社会目標である「良い生活 well-being」について解説しました。これは、センの提唱する「ケイパビリティ」(人間能力)の開発によって貧困問題を解消しようとする方法論とつながるものです。いずれも、GDPのような経済成長指標を「豊かさ」の基準に据える従来型の考え方から、「生活の質」を指標とする新しいパラダイムへと世界全体が舵を切りつつあることを示しています。橘木俊詔『幸せの経済学』(岩波現代新書)のデータに見る日本人の幸せ観も興味深いものでした。

 また一人の受講生が、サンマリノ共和国の駐日大使と懇談する機会があり、同国が東日本大震災の犠牲者を鎮魂する目的で神社の建立を進めていることを報告してくれました。

 今回は第17章「人権とグローバルな責務」に関連して、人権とはなにか、そして人間にとって最も大事な権利とは何か、などについて自由に論議したいと思います。

 参考までに、トマス・ペインの『人間の権利』(西川正身訳、岩波文庫)から、フランス革命における「人権宣言」(人間と市民の権利の宣言)の前文と全17か条をあげておきます。センも触れていますが、「最大多数の最大幸福」で知られる功利主義の創始者ベンサムは、この「人権宣言」を「形而上学的な作品」とこきおろしています。宣言で人権の要としている自由や平等は、言葉だけあげても、すべての人々に均等に配布することなどは、空想の産物に過ぎないことを、ベンサムは見通していたからでしょう。

 実際、他者の権利を認めることは、自分自身の自由に制限を加えることにつながります。自由が不平等の温床でもあることは、自由主義経済社会の皮肉な現実です。ベンサムは、「人権宣言」のなかで認めていい概念は「博愛」だけだと言っているそうですが、博愛によって、誰もが自由と平等を甘受できる社会の実現を目指すことはできないのでしょうか。