9、仁あふれる社会とは

 前回、穀物の作り方を孔子に尋ねた樊遅に対して「君主が礼を好めば民の尊敬を集め、人々が誠実に生きようとし、生半可に穀物の作り方を学ぶよりも、自然と天下四方の民の力で豊かになる」と、孔子が諭した話(「子路13-04」)に対して、受講生のお一人が「孔子の君主論は、いわばトップダウン方式の組織論と同じで、どうもいまひとつ納得がいかない。最近の組織論は、各セクションがそれぞれ独立して意思決定をする並列型になりつつあり、トップによる上位下達方式はもう古くなっている。国づくりも、むしろこのような各地域自立型のほうが良いのではないか」との大事な視点を披露してくれました。

 この話は、生命体のあり様を思い出させてくれます。たとえば、大きな病院の診療科の分類を見てみましょう。「消化器科」「循環器科」「神経科」「皮膚科」「眼科」「血液内科」「呼吸器科」「泌尿器科」「耳鼻咽喉科」…と、診療の窓口は、いわば生命維持によって必要な器官による分類になっています。「個体の維持」と「自己増殖(複製」」が生命体の定義ですが、人間なる組織体を生命体あらしめているのが、個々の器官であり、その器官を構成する臓器そして血管や神経系というネットワークです。各器官は「呼吸」「代謝」「外的駆除」などの役割を、細胞レベルで担っており、個々の細胞は忠実に自己の役割を果たし、臓器や器官がそのマクロ的な生命維持の装置として機能することになります。

 分子レベルまで下がれば、塩基対の二重らせんDNAまで還元されることになります。結局、生命の維持活動は、人間組織体にとってのリーダーと言える脳の関与しないものであり、極端にいえばすべての細胞の横断的な働きによってなされているのです。

 「脳」なる司令塔を持たない植物を見ると、ことはもっと単純になります。生体の構成物質の素材を作る葉と、それを全体へと輸送する葉脈と導管、水分と栄養を取り込む根、から成っていると単純化できます。「植物人間」は、まさに脳不在でも生命体がそれなりに存続できる一つの証明になっています。

 中国の古代社会で名君によって繁栄した殷(B.C17世紀-B.C1046)の時代に、農民たちが田畑仕事をしながら歌っていた次のような意味の歌があります。「毎日田畑に出て耕作し、収穫し、季節がくれば種をまき、そしてまた耕作する。その繰り返しに、天子さまは何の関係もない。毎日こうして平和に暮らしている。天子など何の必要があろうか」

 これは、殷が長い間、平和で豊かな時代を送り、住民たちにとって政治の支配を意識する必要がないほど、平穏な時が流れていたことを象徴する歌になっています。リーダーは存在するだけで、国家なる組織体の成員はそれぞれの仕事を日々こなしていれば、万端、平和であることが良い時代ということになるでしょう。

 とすれば、人間なる組織体がもっとも良き時間を過ごすのは、脳なるリーダーが、余計なことをせず、実質的に「無」の状態にあるときではないか、と想像することができるのではないでしょうか。法華経は、すべての民が悟らなければ、仏もまた悟ることがない、ことを語るお経ですが、仁ある社会の実現は、民が充足して初めて君主も充足する、ことを孔子も理想としていた、と読むべきかもしれません。