9、法と社会のオートポイエーシス

 前回は、トランプ次期大統領の出現は、政権への期待を構成する人々の意識が変わることによるアメリカ社会における「相転移」である、との視点からご議論をいただきました。いつの時代でも、ときの政権はそのときにおける「優勢な意識」の具現化であり、オートポイエーシス的な性格をもった存在である、とみなすことができます。政権は、支える人たちの意識を代表し、彼らにとっての「善」を遂行しようとします。その結果、社会の中でその人たちの存在が有利となって政権を支え、彼らと同じ意識の人間がより社会の中に増えていく結果となります。

 つまり、政権は、自らを支える“部品“となる意識を創出し、それが政権そのものの安定性を維持し、自身を支える意識をさらに創出するというオートポイエーシス的循環が出来上がるのです。逆に、循環過程で政権から不利を受ける人たちが増え、反政権への意識が強くなると社会は「相転移」を起こし、今回のアメリカ大統領選のような結果を生み出すのです。

 トランプ政権の誕生は「重厚長大産業の軽薄短小産業への反逆である」「グローバル化の中での人々の意識・心理が変わってきたことの証左」など、皆さんからのご指摘は、この「相転移」の内実を的確に表現してくれていると思います。

 さて、今回は「法」のオートポイエーシス性について考えていきたいと思います。お配りしたグンター・トイプナー『オートポイエーシス・システムとしての法』(土方透ら訳、未来社、1994.9)の冒頭に紹介されているユダヤ経僧侶の逸話は、法の自己言及性を端的に表現したものとして、なかなか興味深いものです。

 法の解釈をめぐって意見が割れたとき、神が「それが正しい」と一人の意見を是としたにもかかわらず、ほかの僧侶たちは神が最初にした発言「多数に服従せよ」を楯に、譲らなかった、という話です。このしっぺ返しに、神は「わが息子たちは私にさからった」と冷笑せざるを得ませんでした。

 法が、社会の安寧を守ることを目的としている以上、国民や市民など、その社会を構成している人々の多くの意見を無視して、制定や実行はできません。法が結局は自分に帰ってくる自己言及性を秘めていることを、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(第四回)議事録」(下記サイト参照)の議論を種に見ていくことにしましょう。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai4/gijiroku.pdf

 日本国憲法には、天皇の位置づけと国事の性格づけが次のように記されています。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。(第一章 天皇 [天皇の地位・国民主権])
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。(同)
第七条 天皇は内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。
  …                 (第一章 天皇 [天皇の国事行為]
 天皇の退位や、摂政を置く基準などを示す皇室典範は、下記を見てください。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO003.html

上記の議論を通じて、オートポイエーシス・システムとして天皇制を見ることによって、いかなる視野が開けてくるのか、皆さんの声を聞かせてください。