9、談論:憲法はどうあるべきか

            ードイツに学ぶー
 
 前回は、法律を専門とする聖徳大学准教授の甲斐聡先生をお招きし、古代ギリシアと現代を比較しながら、立憲主義をテーマに皆さんと論議をすすめました。

 甲斐先生が用意してくれたのは、平成26年7月1日の国家安全保障会議決定・閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(いわゆる「安保法制」)です。

 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf

 消費税の10%導入先延ばしをめぐる昨年の解散総選挙で、争点は「1、消費税アップの先延ばしの是非」「2、アベノミクスの是非」「3、安保法制の是非」だったはずにも関わらず、事実上、アベノミクスの信任選挙の体となり、とくに3の安保法制論議はほとんど蚊帳の外になった、と甲斐先生は指摘しました。

 憲法前文の「国民の平和的生存権」や憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を守るための自衛の範囲を、グローバルな危機に対応する、の名目で憲法9条の解釈を変えることによって拡大しようとするこの閣議決定に対して、「立憲の意味」を問う形で議論は進みました。

 皆さんが、憲法学者の「樋口陽一」「佐藤幸治」「小林節」らの著作を例に引いて、「立憲」の意味を精査してくれました。「『法律は政治家が国民を縛る、憲法は国民が政治家を縛る』『権力には勝手なことをさせない』が憲法の精神だと思う」の声に代表されますが、ここでは「樋口陽一」が「いま、憲法は『時代遅れ』かー<主権>と<人権>のための弁明(アポロギア)」(平凡社、2011.5)であげている伊藤博文の言葉(大日本帝国憲法にかかわる会議における)を紹介しておきます。

 「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」

 一人の受講生が取り上げた、朝日新聞の「論壇時評」(2015.6.25)での作家・高橋源一郎の「憲法と民主主義 独学で見えてきたこと」で紹介されている、ドイツ憲法の草案にある、次の言葉もなかなか興味深いものでした。

「国家は人間のために存在し、人間が国家のためにあるのではない」

 お一人は、プラトンの『法律』第4巻715Dに「法律が主権をもたないような国家は、やがて滅亡していく。支配者が法律の下僕になっているような国家は、神々から恵まれる善きことの一切が実現する」とあることをとらえ、「これは立憲主義の萌芽と言えるのではないか」との問いを立てました。これを支配者さえも「法の下では平等である」と読み解けば、市民の権利を守るという立憲主義が垣間見えるといっても良いかもしれません。

 憲法と私たちとの関係はどのようにあるべきなのでしょうか。ナチスの教訓から「戦う民主主義」の概念が生まれたドイツ連邦共和国基本法には学ぶべきところがたくさんあります。

 「憲法に定められた権利を、自由で民主的な体制を破壊するための闘争に濫用する者は、基本権を喪失する」(基本法18条)

 「政治家を含めて、全国民に民主主義体制を明記した憲法への擁護義務を課す」(憲法への忠誠。基本法5条3項ほか)

 「政府が憲法と国民に背いた場合、他の救済手段がなければ、国民は抵抗権を発動できる」(基本法20条4項)。

 まだまだ、たくさんあります。