9,私は英雄的人物の対極にある人物である

 今回は、『この人を見よ』(「なぜ私はかくも怜悧なのか」七~九、pp.67~77)を取り上げます。ここは、副題の「人はいかにして自分自身になるか」についての記述が中心になっています。ニーチェは「願いというものを持ったことがない」(p.76)と「ある日忽然と大学教授になり」「ある日とつぜん文献学者になっていた」(同)と、述懐します。

 ここでもニーチェは、またまたドイツの町のことを「地から何一つ生え育たず、善も悪もいっさい合財を曳きずり込んでしまっているあの築き上げられた悪徳の都」(p.71)とまで形容し、「自己防御の本能」として「針鼠にでもならないわけにはいかない」あるいは、自分のイニシアティヴを取り外されるような場からは「身を遠ざけてしまう」(p.72)と、彼の行動原理を語るのです。

 生まれ故郷であるドイツの都市を酷評するニーチェは、一つの理想郷としてイタリアのヴェネチアをあげています(p.68)。彼はそこを「何か言い知れぬ内気な心の戦いなしに思い浮かべることの出来ない」幸福の南国(p.69)、とまで形容し、次のような詩(p.69)を奏でるのです。

 橋のたもとに私はたたずんだ、…遠くから唄声がきこえてきた。
金色の雫となって唄は湧き、ふるえる水面をわたり、去った。
ゴンドラの群れ、ともし灯、そして音楽―
よいしれたように唄声は、薄明にただよい出ていった……
わがたましい、それはたてごとの奏で、
見えざるものに触れられ、奏でにつれて 
たましいはひそやかにゴンドラの唄をうたった、
眼もあやな至福の想いにおののきながら…

 前回、受講生のお一人から、三島由紀夫に比べたら、ニーチェの詩はその形容が単純で、実に深みがない、とのご批判をいただきました。本日は、みなさんとご一緒に、ニーチェの詩をいくつか朗読しながら、それがどこまで味わいのある深みのあるものなのか、それとも、詩としては評価の対象外と言うべきなのか、判断を仰ぎたいと思います。私が好きな若きニーチェの詩を紹介しておきましょう。

ナウムブルクにほど近く、行きなれた谷間、
そこには、多くの心を誘う場所がある、
なかでも、ぼくの心を誘うのは、
そこにある山峡の隘路だ。

何すれば、かくすばらしくも、心にきざまれた
そのプフォルタを忘れ得よう。
                                           (1958年春)

 ニーチェがノヴァーリス、フィヒテなども卒業した名門プフォルタ学院に入学する13歳ごろの作品です(『ニーチェ全詩集』秋山英夫訳、人文書院、pp.5-6)。