10、クセノフォンによる「もう一人のソクラテス」

 ソクラテスが30歳のころ、アゴラ(市場)で人々と会話をしている様子を、クセノフォンは対話編「家政」で描いています。そのソクラテスは、プラトンが描く、追及するソクラテスではなく、人々の話に耳を傾け、そこから真理を得ようとするひたむきな探究者です。

 「カロス」(美)と「アガトス」(善)を体現し、「カロス・カガトス」(善美の人)と呼ばれているイスコマコスなる人物について、ソクラテスの親友クリトンの息子クリトブロスに60代のソクラテスが話していく構成になっています(八木雄二『裸足のソクラテス』春秋社)。
 
 ソクラテスはあるとき、アゴラの柱の下に座っているイスコマコスをみかけ、「あなたが善美な人だと評判のその理由を知りたいのですが」と話しかけます。彼は、自分の妻に対して、どのように接しているのか、話し始めます。

 15歳で嫁いできた妻が「私に何ができるでしょうか」と聞くのに対し「誠実な仕方で自分たちの財産が増えるように努めることだ。神が私たちに与えた労働と配慮(エピメレイア)に基づいて、自分の役割を果たすことに一生懸命になりなさい。それは、生活の中で人々とのかかわりのなかで、善き行為、美しき行為をすることだ」と答えるのです。
 
 ソクラテスは、「善美な人」と言われながらも、しばしば中傷によって裁判を起こされることもある彼の裁判における弁明についても聞いてゆきます。イスコマコスはこう答えます。

「ぼくは、だれにも不正を働かず、できる限り人々に恩恵を施すことで、自分を守っているのだ。さらにしばしば、市民諸君や国家に対して不正をはたらき、だれにも良いことをしない連中を監視することによって、告訴人として論ずる用意もしている。そう、きみは思わないか」

「思っていますとも。そのための言葉による練習もしているのでしょう」

「ぼくは召使いに告訴人や弁護者の役割を割り当てて、反論したり、時には友人を裁判員に見立てて、誰かを批判したり、ときには政務委員のあらさがしもする、何もしないのに告訴されたひとの弁護もし、政務委員のように良いと思う政策を推奨したり、反対に悪いと思うものは批判したりするのだ」

「ゼウスにかけて、あなたは善美な人という名に恥じない人ですね。あなたは有り余るほどの所有地をお持ちだが、あなたがいないときにその財産を管理するひとには、どのように指導するのですか。あなたの代わりをする人ならば、何よりも誠実であることが、重要になるのではないでしょうか」

「ゼウスにかけてその通りだとも。じっさいぼくが最初に教え込もうとするのは、ぼくとぼくの所有に対する誠実さなのだ」

「いったいどうやって、神のもとでも誠実な人間を教育するというのですか。是非、聞かせてください」
 
 こんな形で、若きソクラテスは対話をしていたのです。なんという謙虚なソクラテスでしょうか。このソクラテスが、傲慢とさえ見える自信家になったのはなぜでしょうね。