10、シンポジウム「自分で考えること」

 さて皆さん、思い出して欲しいのですが、今回の講座のテーマは「気づき」でしたね。テキストの池田ソクラテスを読んで気づいたことに限らず、日常生活のなかで気づいたこと、印象に残ったことを「考え」、何か新しい発見に導く道標になればとの思いでのテーマでした。

 ある哲学講座に出席していた人からこんな話を聞きました。「何のことはない、哲学とは、自分で考えることですね。そんなことに気づいて、哲学の講座に出るのをやめました」。

 実に金言です。実は私の講座の目指すところも、この「自分で考える」ことの発見なのです。この講座は素晴らしいことに、すでに「自分で考える」人が集まって「考え」をぶつけ合う場になっています。ときに対立しながらも、講座そのものが生み出す「知的輝き」を楽しんでくれていると信じております。
 
 今回は、お一人が「魂」と「イデア」について、お一人が富山県の地元生まれの水彩画家、篁牛人(1901-1984)への「思い」をお話してくれることを期待しています。
 
 お配りしている新聞記事「宇宙飛行士・野口聡一さんへのインタビュー」(朝日新聞、11月12日)は、お一人の方が提示してくれたものです。この記事から何を「考えた」か、をお話していただきます。わたしは次のようなことを「考える」にいたりました。
 
 私の話は、サブタイトルにある「宇宙の漆黒、地球の輝き」に関することです。私は天文少年で、小さいころから宇宙の暗闇にあこがれておりました。高校生になって、市販の凸レンズをボール紙で作った筒に組み込んで、手製の屈折望遠鏡を作りました。まだ、東京の空は今と違って星々が良く見える時代でした。自宅の窓枠にボール紙望遠鏡を置き、夜空を観察するのが日課となっておりました。

 木星のような大きな惑星はともかく、土星の輪が手製の望遠鏡で捉えることができたときには、興奮を抑えきれませんでした。大気の影響でゆらゆら揺れている画像でしたが、中央の丸い星の部分を取り巻いている環がほんのりと輝いている画像がそのまま記憶の底に残っております。
 
 この輝きとともに、最も印象的だったのが、背景の宇宙のまさに「漆黒」の闇でした。闇の奥の奥に何があるのか、その闇に惹かれて大学では天文学科を選択し、宇宙論の分野に足を踏み入れることになったのです。
 
 闇と輝きには、もう一つの記憶が常に浮かんできます。それは、屋久島の海に潜った時の思い出です。海の底に向かって泳いでいると、どこまでも暗闇が広がっています。その奥に何があるのか、この時もまた「闇」に惹かれる自分を感じたものでした。そして、浮かび上がろうとして海面の方を見たとき、海の表面の揺らぎを受けた太陽が、ゆらゆらと揺れながら輝いているのが見えたのです。
 
 野口さんの体験した「漆黒と輝き」は、私の記憶を揺り動かし、明/暗⇒生/死⇒天/地⇒etcの二元論的構図を改めて開示し、はて、心と体はどちらが明でどちらが暗になるのか、一つの哲学的テーマとして考え始めたところです。皆さんは何を「考えて」いますか。