10. 「現代のプロメテウス」フランクリン

 前回も、皆さんから、いろいろ興味深い話をいただきました。「散歩の途中で”知り合った“猫が、こちらに挨拶する」「わずか100万個の昆虫のような微少脳にはない悪が、140億個の脳細胞をもつ人間に巣くっている。これは何を意味するのだろう」「画家が目指すのは普遍を描くこと」「人間と動物の比較から、本能の問題が出てくる」

 今回は、「現代のプロメテウス」と表題されているフランクリンの電気の発見から、エネルギー問題を考えてみたいと思います。

 お配りしたソクラテス対話編『プロタゴラス』(『筑摩世界文学大系3』藤沢令夫訳、筑摩書房)の一文(p.155-157)は、人間だけが「火」というエネルギーを手に入れた所以を、ソフィストのプロタゴラスがソクラテスらを前に行った大演説の箇所で、アテナ神から扱う技術ともどもプロメテウスが火を盗んだ逸話が語られています。

 こうして人間は「火」を手に入れたわけですが、それを活用する「国家・国民(ポリス)のための技術」(ポリティケー=政治術)は盗みそこなったため、人々は結局まとまらないまま滅びそうになります。ゼウスは見かねてヘルメス神を派遣し、人々がお互いを愛しながら国を運営していくための「政治術」として、「つつしみ」と「いましめ」を与えることにしました。簡単にいえば、お互いを大事に思う気持ちと、それに反した場合にはそれなりの罰が下るというものです。
 
 ハイデガーの『技術への問い』(関口浩訳、平凡社)には、二つのキーとなる文章が出てきます。一つは、上野さんが注目した「技術の本質は、危機のときにこそ救いとなって開かれる」(同書pp.51-52)、いまひとつは、ヘルダーリンの詩からの引用で「人は詩人的に住む(人は詩人のように住まう)」(p.64)です。後者については、占領軍による公職追放解除の年(1951年10月6日)にハイデガーが行った講演「詩人のように人間は住まう」に、その趣旨が書かれているので、参考としてお配りします(伊藤哲夫・水田一征編・訳『哲学者の語る建築』中央公論美術出版、pp.5-44)。

 神の慈愛の世界を描き出すことに詩人としての生き方を見出したヘルダーリンにとって、「詩人のように住まう」とは、「優しさ」を日々実践することであると、この一文でハイデガーは読み解いています。
 
 二つの文章によってハイデガーは、技術がもたらす危機のときに、人は自らの本質を発見し、「他者への思いやり」に気づく、と言っているように思えます。そこにハイデガーは、「技術」の開く「真理」(アレーテイア)を見ているに違いありません。この「他者への思いやり」は、ゼウスから人間への贈り物として与えられた人々をまとめる「技」としての「つつしみ」に通じるものだと思うのです。

 東日本大震災の原発危機ほど、他者への思いやりが求められるものはないのではないでしょうか。技術の際限のない発達は、私たちを思いもかけない危機へとこれからも導くに違いありません。その時々で、私たちは「自分が何者であるか」を問われるのではないでしょうか。人間は肥大化した脳が生み出した「悪の申し子」なのか、それとも、自らの作り出す危機をバネに新しい自己の「創生」へ向けて進化し続ける動物なのか、ご議論願いましょう。