5、哲学的問答法

 「算術」「幾何学」「天文学」は、哲学の前奏曲として位置づけられ、『国家』はソクラテス哲学の核心である「問答法」へと入っていきます(530D-541A,pp.153-184)。

 すでにあげた三つの学問を業として励むだけでも「大変な大仕事」であると話すグラウコンに対して、ソクラテスは「演奏曲のことをそう言うのかね」と軽くかわし、これらの学問が「学ばなければならない本曲」にとっては前奏曲に過ぎないことを強調します。そして、「哲学的な対話・問答」こそが「本曲」であり、前奏曲の学科に熟達していても、問答法に精通しているとは限らない、と釘を刺すのです(531D-532A, pp.156-157)。

 これこそが、思惟される世界の究極に到達できるもので、「ディアレクティケーδιαλεκτική」(哲学的問答法、と通常は訳される)と呼ぶべきものだ、とされます(532B, p.158)。ディアレクティケーは英語のダイアログdialogueに通じるものですが、ギリシア語dia-logosより、「dia-(横切って)+-logue(話す)」から、「対話」の意味になります。

 logos(ロゴス)は、これまでもたびたび出てきたように、(話し)言葉の意味から、論理、比にいたる幅広い概念をもち、ソクラテスが真理を自然万物から人間に求めるようになったときのキーワードになるものです。「何が善であるか悪であるかは、自然哲学者が説く自然の原理からは得られないと思うに至り、私はロゴスの探究へと向かった」というような意味のことが、プラトンのソクラテス対話篇『パイドン』(97c-98b)に書かれています。

 哲学的問答法は「もろもろの学問の上に、いわば最後の仕上げとなる冠石のように置かれているのであって、もはや他の学問をこれよりも上に置くことは許されず、習得すべき学問についての論究は…これをもって完結」と文中のソクラテスは言い、あとに残っているのは、だれにどの学問を配分して習得させるかだけである、と断じます(534E-535A, pp.165-167)。

 ソクラテスの問答法が人々をいかにして追いつめていくのか、ソクラテス研究者G・ヴラストスの「標準エレンコス」論を紹介しておきましょう(G・ヴラストス「ソクラテスの論駁法」『ギリシャ哲学最前線』井上忠・山本巍訳、東京大学出版会、1986、p.62)。

1、 相手が何かを主張したとき、それは違うとソクラテスが反駁しようとする。
2、 ソクラテスはいくつかの別の前提をたてて、その前提の正しさを相手に納得させる。
3、 その前提に立つと、相手とは正反対の主張が成り立つことを相手に納得させる。
4、 そこでソクラテスは、最初の相手の主張は正しくなかったことが証明された、と主張する。

 この論駁スタイルに、対話相手はしばしば「ごまかし」や「トリック」を感じ、不快感をいだきながらやり込められるシーンが見られました。対話篇『ゴルギアス』において、対話相手のポロスが、人間社会の基準で美醜を判断しているものを、自然の基準にすり替えて議論をひっくり返したことが非難されているのは、その一つの典型的な例です(483a)。

 さて、ソクラテスの問答法は、トリックとすり替えによるごまかしに満ちているのでしょうか。それとも、ほんとうに真理を産む産婆術なのでしょうか。あなたはどう考えますか。