6、人間行動のモデル化 付記

<悟り>前回「悟りも訓練で身につく、という話があります」と、受講生の一人が一冊の本を紹介してくれました。

 藤田一照・山下良道『アップデートする仏教』(幻冬舎新書)

 「パオ・メソッド」なるその方法は、呼吸の観察、慈悲の瞑想、自分が白骨化した様子の観想…などを経て「禅定」に至るものだそうで、四つの「色定」と四つの「無色定」の計八つの「禅定」があるとか。この最後の「非想非非想処」にブッダは到達したが、それではまだ真の悟りではない、とブッタは師の仙人のもとを去った、そうです。
 興味深いのは、このメソッドを実践した良道さんの動機が「思いの過剰」と本人が呼ぶ状態からの開放だったことです。これを本人は師匠の内山老子から「病気」と指摘され、「思いの手放し」のために「パオ・メソッド」を受けに行ったのです。その結果、「思いを手放す」ことの方法は、「気づく」ことだ、と気づいたのです。しかし、当初は、「何かに気づく」ことと、「何かを思ったり、考えたりすることの違いがどうもよくわからなかった」そうです。
 さて、この話は哲学的にも実に興味深いので、時間があったらこの話も話題にいたしましょう。

 今回の話には、「パレート最適」と「アローの不可能性定理」という、民主主義に関係した概念が出て来ます。あまりなじみのある概念とは思えないので、簡単に説明しておきます。

<パレート最適>
 いくつもの選択肢があるなかで、ある選択をした場合、ある人々は良くし他の誰をも悪くしない代替案がほかにない場合を「パレート最適」と呼びます。いくつもの政策や選択がからむ政治や経済上の判断において、「パレート最適」の選択を常に心がければ、世の中は少しずつ良くなっていく、悪くてもそれより以前よりはましである、と考えられることになります。
 <アローの不可能性定理>
 以下の二つの公理は両立しない、すなわち「合理性の公理」が満たされる社会では、「民主主義は不可能である」との結論を、単純化された「アローの不可能性定理」と呼ぶ。
●「合理性の公理」
次の公理が満たされる場合、社会は最もよい選択肢を選ぶことができる
 1、社会の構成員の全員が、ある選択をほかの選択よりもよいと考えた場合、社会全体の選択がその選択になること(完備性)
 2、ある選択AがBより望ましく、BはCより望ましい場合には、AはCより望ましい(推移性)
●「民主制の公理」
 民主制が満たされるには、次の四つの公理が現実化することが不可欠。
 1、社会の構成員は、「合理性の公理」を満たす限り、いかなる選択も取りうる。(普遍性)
 2、すべての構成員がAよりBを望ましい、と考えた場合には、その社会はAよりBを望ましいとする。(全会一致性)
 3、どの個人的選択の優位も、ほかの種類の選択から影響を受けない。(独立性)
 4、構成員の中に、彼の選択が全体の選択になるような「独裁者」が存在しない。(非独裁性)