6、対話編『饗宴』のリアリティ

 前回は、養老孟司博士の話に、お一人から「このお話と私自身の現実がどうつながるのかどうにもピンときません」との実に貴重なご指摘をいただきました。「現実」とは、文字通り「現に起きている事実」という事になりますが、対応する英語の「リアルreal」は日本語の現実とはいささか違っています。形容詞のrealを日本語では「real(現実的)な」と名詞扱いし、名詞のrealityを「現実感がある」と、使い分けているのです。このお方にとって養老博士の話は、realに響かない、realityがない、ということになるのではないでしょうか。
 
 本日のテキスト「贅沢の探求」は、贅沢の基準は人それぞれ、という当たり前のことを大層に取り上げ、金持ちの特殊な贅沢感をコケにする池田流皮肉を下ごしらえにして、プラトンの対話編『饗宴』におけるソクラテスに「贅沢の極み」を見る、構成になっています。

 私たちは、池田ソクラテスの文脈に陥らず、愛の女神「エロス」を讃え合う構造を持つ「饗宴」のリアリティ(reality)をテーマに展開したいと思います。まずは、主な登場人物をあげておきましょう。

パイドロス:最古の神なのに讃えられることのなかったエロスを取り上げることを提案。対話編『パイドン』で、牢獄でソクラテスが毒杯を仰ぐ現場に立ち会った一人。
エリュクシマコス:パイドロスの話を受け、エロスには健全・不健全の二面性がある、と主張。医者。
アリストパネス:ソクラテスを主人公とする喜劇「雲」の作者。人間は一つだったものが、ゼウスによって半身に切り取らてた。その片側を求める気持ちが「愛」(エロス)となって現れる、と主張。
アガトン:詩人。この饗宴の主催者。エロスは、すべての技と美の創造神である、と主張。

画像の説明

アルキビアデス(右画):出世欲まんまんの若者。ソクラテスのおっかけ。饗宴の場に闖入し、ソクラテス礼賛をぶち上げる。
 
 プラトンの『対話編』を読めば読むほど、そのrealityに驚くほかありません。2500年もの古代ギリシアで起きている出来事が、あたかも私たちがその現場に居合わせているかのように感じられます。

 私たちは、饗宴の場でソクラテスと同じように耳を傾け、感じ、考え、いっときの「心の解放」を味わうことが出来る、これこそ、「究極の贅沢」と言っても良いのではないでしょうか。ここに、お一人の受講生の提起―「哲学的に考える」とは普通に考えるのと何が違うのかーの答えの一つがある、すなわち「ソクラテスと共に考える事が、哲学的に考えるということである」と。

 『饗宴』を読みながら、私たちはいつのまにか「哲学的に考えている!」。皆さん、池田ソクラテスの言辞に惑わされず、『饗宴』の世界でソクラテスを感じてください。