7 .ライト兄弟の「動力飛行機」

 前回の講座では、人は「何のために~をするのか」を話題にしました。矢倉さんが「退職してからの主人はやれ料理だの何のと、夢中になって何かをするのですが、わたしはいつも『いったい何のためにするのか、何のためにしたいのか』と聞いてしまうのです」と、面白い話をしてくれました。ご主人は、ひたすら「創造の情熱」に突き動かされている、と言うべきでしょうか。発明家もまた、いつも「効率をあげて人の役に立ちたい」といった動機で発明に挑むとは限りませんね。動力飛行機の発明者・ライト兄弟の動機は「鳥のように空を飛んでみたい」という古代からレオナルド・ダ・ヴィンチまでにも共通した、夢であり、憧れでした。
 
 アリストテレスの四つの原因論からすると、動機「空を(目的)、飛びたい(願望)」は、始動因と目的因が同時に塗りこまれていることになり、この「~をしたい」が「夢」であり「憧れ」であり、その現実化に必要なのが「技術」ということになります。これを、「技術への意志」ととらえ、原子力のマンハッタン計画も生命の秘密に挑む遺伝子解読も、そのような意志の現れであり、それは逆に「自己破滅」へと導く内在したニヒリズムであることを強調したのが、カナダの政治哲学者アーサー・クローカーでした(『技術への意志とニヒリズムの文化』(伊藤茂訳、NTT出版、2009.7、p.11)。
 
 クローカーの立論は、ハイデガーの技術論が下地になっており、この講座「テクネーの哲学」は、いよいよ「技術とは何か」の問いに進んでいくことになります。ハイデガー晩年の著作(1954)『技術への問い』(関口浩訳、平凡社、2013.11)をテクストとしながら、これからの四回を展開していくことにいたしましょう。大テーマは「技術とは何か」であり、各回のテーマを第七回ライト兄弟「夢と技術」、第八回エジソン「死と技術」、第九回スズメバチ「動物と技術」、第十回フランクリン「エネルギーと技術」と置くことにいたします。
 
 さて今回は、「~のため」という目的を欠いた、純粋な「夢」や「憧れ」の持つ意味をご一緒に考えてみたいと思います。札幌農学校のクラーク博士(1826-1886)が残した有名な言葉「Boy’s be ambitious少年よ、大志を抱け」から入ってみましょうか。学校を去るにあたってクラーク博士が教え子の若者たちに残したこの名言には、どのような意味内容が込められているのでしょうか。
 この「大志」がどのような「大志」なのか、次のような諸説・バリエーションがあると、されています。

Boys, be ambitious like this old man.
少年よ、この老人のように大志を抱け。
Boys, be ambitious as me.
少年よ、私のように大志を抱け。
Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
少年よ、大志を抱け!金や私欲のためではなく、名声などと呼ばれる空しいものでもなく。人間として当然持つべきもののために大志を抱け。
Boys, be ambitious for Christ.
少年よ、キリストのために大志を抱け。

「Boys, be ambitious.」という言葉自体、それほど力強く呼びかける言葉ではなく、「まあ、頑張れ」程度の軽い呼びかけだったという説もあり、「ambitious」は「野心のある」や「強い欲求を持っている」などの意味を表すこともある単語で、日本語の「野心」がそうであるのと同様に、必ずしもよい意味で使われるわけではありません。
 (以上、weblio 英語の勉強コラム http://english-columns.weblio.jp/?p=1895

 Ambitiousは、ラテン語のambition(大望、渇望、念願、宿願、功名心、権力欲)の形容詞ですが、「票を求めて歩き回る」意味の動詞ambi から来ており、選挙で自分に投票して欲しいと個別訪問をすることが元意で、それなりの地位、すなわち名声を得ようと望み、行動することを意味しています。クラーク博士の言葉をソクラテス的に読み取れば、「金や私欲のためではなく、名声などと呼ばれる空しいものでもなく。人間として当然持つべきもののために大志を抱け」を、正解としたいところですね。しかし「人間として当然持つべきもの」が何であるかは、まことに哲学的なテーマであり、これまたソクラテスを持ち出すならば、アレテー(徳)ということになるでしょう。とはいえ、この講座でもしばしば取り上げてきたように、「徳」が何かは古代ギリシア以来の普遍的な議論の対象であり、実に難しい問題です。
 
 技術の「負の遺産」に焦点を当てるならば、技術は人々を「幸せ」にするよりも「不幸」へと陥れることのほうが、はるかに大きいような気がしますが、ここでは仮に「技術とは何か」の答えとして、「人類をアレテーへと導くもの」としてみることにしましょう。「人間」ではなく「人類」としたのは、より大きな宇宙的規模で技術の問題を考えてみたいからです。
 
 かつて、フッサールの志向性について議論したときに、「考えてください」と言われたとき、「何を」(志向の対象)がないと人は考えることができないことを私たちは議論しました。これお一人が「考えるは動詞なのですね」と反応し、その反応をもうお一人が明瞭に記憶していたことが、今期の講座の座談で示されました。

 クラーク博士の「大志」がどのような志向の対象をもっているかはともかく、ライト兄弟の「憧れ」や「夢」の対象は明確に「空を飛ぶこと」でした。技術は、この志向の対象を私たちに「存在化」させる「わざ(技)」です。私たちは、技術がどのようにして個々の発明に寄与してきたかをこれまで具体的な事例で見てきました。いよいよ、技術の本質について、ハイデガーとともに考えていくことにいたします。