7、ソクラテスとかけて上杉謙信と解く、その心は

 裁判でソクラテスは、次のように彼の行動原理を語っています。
 
「私はポリスに神がつけた贈り物であり、馬に着いたアブのように、一人一人を覚醒させることをやめない者なのです」(18 30c)。覚醒させるということは「金銭や、評判、地位のことは気にしても思慮や真実のことは」(17 29e)気にかけない人々に対して、「魂(ψυχήプシュケー)をできるだけすぐれたものにするよう、気遣う」(17 30b)ように促すことを意味しています。そして、魂への「気遣い」は「神」すなわちオリンポスの主神ゼウスにより「命じられたこと」であり、「神の決定」(22 33c)であると、ソクラテスは裁判員たちに語りかけるのです。
 
 ソクラテスの主張「魂をすぐれたものにする」、この「すぐれたもの」の原語は、「徳」とも訳される「(アレテ―αρετή)」です。徳へと導く魂の気遣いの具体的な方図について、ソクラテスは、富や名声にこだわらないこと以外に示してはおらず、数少ない公務の体験において「死をも恐れずに間違いと信ずることは糺す」(20 32d)といった自身の体験例で示唆するだけでした。

 戦国の武将・上杉謙信が家訓16ヶ条「宝在心」に掲げている「心の在り方」は、ソクラテスの「徳へ導く気遣い」の世界に通じているような気がします。

「一、心に物なき時は体泰なり」「一、心に我儘なき時は愛敬失わず」「一、心に欲なき時は義理を行う」「一、心に私なき時は疑うことなし」「一、心に驕りなき時は人を教う」「一、心に誤りなき時は人を畏れず」「一、心に邪見なき時は人を育つる」「一、心に貪りなき時は人に諂うことなし」「一、心に怒りなき時は言葉和らかなり」「一、心に堪忍ある時は事を調う」「一、心に曇りなき時は心静かなり」「一、心に勇みある時は悔やむことなし」「一、心賤しからざる時は願い好まず」「一、心に孝行ある時は忠節厚し」「一、心に自慢なき時は人の善を知り」「一、心に迷いなき時は人を咎めず」

 小林秀雄は、「あらゆる存在は、直接には、心的な観念として、形相として、経験されるより他はない。これが、ソクラテスの自己との対話の出発点をなす」(「悪魔的なもの」『栗の木』p.226」講談社文芸文庫)となかなか含蓄のあるソクラテス論を展開しています。「気遣い」や「心構え」は、行動や言動につながる一つの心的状態、小林的に言えば「心的観念」ということになります。

 私たちを「善」や「正義」や「美」に向かわせる「大いなる存在」を、プラトンは「イデア」と名付けたのです。プラトンは『国家』において、このイデアが対象の真理性を与え、認識する私たちにはこれが真理であると認識させるのだと、語らせています(『国家』509e)。

 ソクラテスはこの「大いなる存在」の存在を感じていましたが、それが「何か」を知らない自分に気づいていました。それが「無知の知」と言われるものです。師であるソクラテスが到達した心境に思いを馳せ、ソクラテスが信じた「大いなる存在」にイデアと名付けたプラトンですが、イデアを体現した理想国家の建設を実現するには至りませんでした。

 ウクライナの悲劇を見るにつけ、地上で「イデアの国」を実現することは、夢のまた夢の気がします。