8 .エジソンの「電気椅子」

 お知らせしたように、今回は「死と技術」のテーマでご議論をいただきましょう。白熱電球の発明家であるエジソンは、電気を使った「死刑道具」として電気椅子を開発しました。血をみることなく、瞬間的に死を与える電気椅子は、「残酷性を軽減した」画期的な死の道具なのでしょうか。死刑が、人によって人を死なせる「殺人」であることに変わりはなく、むしろ、死刑そのものの是非を問う、原理的な機会をあたえてくれるものなのでしょうか。

 ハイデガーは『技術への問い』において、技術(テクネー)とは「隠れている真理を明るみに出す」(アレーテイエウン:開き、真理開示、開蔵などとも訳される)意味の「ポイエーシス」(創出)であることを明確に語っています。知識(エピステーメ)が、自然(ピュシス)の中に隠れている「真理」(アレーテイア)を明るみに出すのに対し、技術は人の中に隠れている「真理」を明るみに出す、と考えるのです(『技術への問い』関口浩訳、平凡社、p.22-24)。
 
 アリストテレスの4原因説を、「責めを負う」(おかげ)との概念連鎖で表現していることも、ハイデガー独特のものです。「おかげ」とは、ギリシア語で「アイティオン 」(~の原因となる、~の責任となる)の訳語です。銀の皿を例えにして、皿は質料としての銀のおかげ(質料因)で存在し、皿という形のおかげ(形相因)で存在します。そして、物を載せる目的のおかげ(目的因)でも存在し、さらにはそれを作ろうとする職人の意図のおかげ(始動因)で存在する、というわけです。
 
 「電気椅子」は、いかなる「責めを負う」存在なのでしょうか。それは「電気」(質料因)「椅子」(形相因)「人を死なせる」(目的因)「エジソンが発明」(始動因)で表されます。電気椅子で死ぬ死刑囚は、簡単に言えば「エジソン」のおかげと「電気」のおかげで、死に至るのです。

 ハイデガーのこの、いわば「おかげ図式」なるものは、「技術とは何か」の問いに、いかなる「開き」を私たちに与えてくれるのでしょうか。「開き」は、ハイデガー哲学の枢要であり、簡単に言えば「私たちを目覚めさせてくれる」ことです。死への導きの新しい手段を提供してくれている電気椅子の発明は、少なくとも「死に方」にまつわる「人間の尊厳」について考えさせてくれることは確かでしょう。それは、いかなる悪辣な囚人であるとしても、「苦痛のない」「安らかな」死を迎える権利がある、ということの「開き」でしょうか。
 
 お一人が同郷の偉人として前回あげた新渡戸稲造は『武士道』(新渡戸稲造全集第一巻、教文館)において、切腹死は「名誉を重んじる武士の尊厳を守る手段」というような説明をしていますが(p.94)、安政の大獄の首謀者として斬首される前夜に吉田松陰が詠った句

   かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂

に、死が開示する日本民族の典型的な「心のあり方」を見ています(p.126)。松蔭の「死に方」を、「悪法も法である」と死を選んだソクラテス(プラトン『クリトン』久保勉訳、岩波文庫pp.74-88)の「死に方」と比較するのもなかなか面白いですね。