9 .スズメバチが「紙」を作る

 ハイデガーは、自然のなかにある「真理」と、人間の中にある「真理」とが、あたかも別物であるかのような議論をたて、技術は人間が自身のなかに眠っている「真理」を開いていくものである、と言っているように思えます。いわば自分自身を発見していく「技」が「テクネー(技術)であり、この無意識的な意志が自らを滅ぼす危険な道である、と言うのです。
 
 技術の単純な定義は、私たち自身の生活を便利に豊かにし、より楽しみのある社会をつくっていくための「道具」でした。しかしながらその道具が、原子力や遺伝子操作といった危険な道へと導いてきたことは、技術の責任なのでしょうか。それとも、技術は唯一人間のものであるという考えに間違いがあり、それをどう使うかの、道義的な問題であり、真理[自然]と真理[技術]とを分けた図式そのものに錯覚があったのではないでしょうか。
 
 技術の最も単純な定義「何かを作り上げるための技」に戻れば、技術が人間だけのものではないことは、私たちがよく知るところです。チンパンジーが木の枝を使って器用にアリを釣りますし、エジプトハゲワシはわざわざ石を探してダチョウの卵に落として割り、ガラパゴス諸島のキツツキフィンチはサボテンのとげを使って木の皮に隠れている虫をほじくり出します。ヤドカリにいたってはイソギンチャクを住家のまき貝に付着させ、そのとげが苦手の天敵のタコから身を守ります(沢近十九一構成・文『道具を使う動物たち』国土社)。こうした生き物たちの「技」は、人間に劣らない「テクネー」にほかならないでしょう。

 「植物などの繊維を薄く平らに成形したもの」と定義される紙は、紀元前150年ごろの中国・前漢時代に発明されたことになっています。1986年に中国甘粛省天水市の放馬灘(ほうばたん)で発掘された漢代の墓の副葬品に、山河や道路などが描かれた黒ずんだ地図が見つかり、これが最古の紙とされています。お配りした「世界を変えたスズメバチ」(アイタ・フレイトウ『あっつ発明しちゃった!』西尾操子訳、株式会社アスキー、1198.2)によれば、名前のわかっている紙の発明家は、紀元105年ごろに中国の法廷役人で、たぶん桑の樹皮を麻やぼろ切れと一緒にすりつぶして水と混ぜてパルプをつくり、ほそい目のふるいに広げて水を切り、日に当てて乾燥させ、現代のような紙に仕上げた、とあります(p.211)。

 このように、人類の歴史にとってみれば、記念碑的な「紙の発明」が、動物、それも下等動物に分類されてしまうハチ類のスズメバチが、とっくに作り上げていた、というのですから、これを初めて発見した科学者レオミュールが驚天動地したのも無理からぬことですね。

「その皮層は人間の作る紙に似ており、区別するのが難しいほどである。…白い工場生産の紙の古いものと同様の光沢と色をしている。立派な紙であり、重さも普通の書類用紙と同じである」(カナダのスズメバチの観察記録から。(同書pp.215-216)

 スズメバチの紙作りの話は、「自然の造作」と「人間の造作」があたかも異なる二つの真理を開く「テクネー(技術)」である、とするハイデガーの考え方に棹を立て、「真理は一つだけで、そこに到る道が異なるだけ」とのガンジーの名言につながる「大真理」の存在が透けて見えます。人間の発明とは、この“大真理”を胚胎する大宇宙の造作を発見して「見える化」する営為、ということになるでしょう。大真理とは何か、ご議論ください。